1 ![]() 展覧会の搬入が終わりました…残念ながら大作は間に合いませんでしたが… 小品ばかり、ちょこんっと並んでいます。少し、ほっとしました。 万が一、お近くにおいでの際はどうぞお立ち寄りくださいませ。 降りてすぐのピカピカの高島屋ではないですよぅ、ほんの少し離れたSOGOですよぅ。 1階では、何やら大安売りをしていましたよ。庶民の味方だ! 本日は、もう寝ちゃいますよ〜。 藤田夢香展 花降る時間—在るということ 柏そごう9階美術画廊 7月26日〜8月8日 ▲
by mono-prints
| 2011-07-25 23:12
| 展覧会 Exhibition
微力ながらこちら東日本大震災被災者支援 A r t B a z a a rに参加させて頂いています。 昨日、搬入をしてきましたよ。 残念ながら、この為に新しく制作する事が出来なかったのが心残りですが…その分、少しでも協力出来たらと大阪のときより手にしやすい価格に変更しています。 すみません…それもまた、ひとつの支援へ繋がるようにとの想いからですのでご了承下さい。 ![]() 「月の調べ」monoprint 2010. ▲
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| 2011-07-25 04:26
| 展覧会 Exhibition
そういえば、絵を描かなきゃいけないのに…こんなことをして、ひとり遊び?をしていました。
![]() キャンバスの縁にオリジナル???のテープを作って張り込みました。 キャンバスの縁には、鋲が打ち込んであります。 (キャンバスは、木枠にキャンバス地を貼ったり剥がしたりできるのです。) ただ、やはり鋲が目立つので通常紙テープ的なものを貼ります。 もちろん、縁をキャンバスで巻き込んで鋲がみえないようにすればいいのですが、私はキャンバス張りは慣れていないので、下手に手出しをして縒れなどが出来てしまう事をさける為に今回は自力で張ることは、すっぱり諦めたのです。 そこで、縁テープの出番。 ![]() 額に入れてもちらりとみえるので、絵を邪魔しない程度に洒落込んでみました。もちろん、ほとんど紺色の布を使っていますが、額装や表具にも古更紗を使うこともあるし、こんなのがあってもいいかな?…と。 ざっくりとした紺色の布は、どこのだっけなぁ…青山を移転する時にアンタイデーで購入したもの。 手染めでどこかの島だったような?… ムラがある紺色の布は、実は沖縄の型染めの裏側です。表面の柄は強すぎて作品には合わなかったのです。 ストライプの布は、イランのジョムエバザールで見つけた少数民族の人が売ってた古い布。 じょきっと、はさみを入れる瞬間、すごく緊張しました。もともと端切れの集合体の布で丁寧に縫い合わせてあったものだからね。 あ、写真のは、インドの古更紗です。もう、ずいぶん前に手に入れたものだけど、やっとお目にかけることが出来そうです ▲
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| 2011-07-23 05:45
| 制作
台風も去って、なんだか秋を思わせるような涼やかな風ですが…蝉の声を聞きましたよ。 ジジッ、ジジッ…と、まだチューニング中なのかしら? さて、「はこ、はこ、はこ…」と、呪文のように唱えていましたが、ちゃんと中身が入りました。 ![]() 大事に布にくるまって… ひっぱりだすと… ![]() スイッチON! なぁんてなるとステキです。 実際は、そんな仕掛けはありませんが…LEDの光が点滅して、呼吸をしているイメージなので箱を開けたら光が灯っていると、にんまりしてしまう。ごくたまにスイッチが何かの拍子で、意図せずに動いて、ゆっくり点滅していると、生きているみたいで嬉しくなってしまいます。 もちろん、電池はもったいないですけど…ひそやかな楽しみです。 ▲
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| 2011-07-22 17:56
| 制作
白い小さな箱にまみれてます。
普通は、ダンボールの箱になるのですが、作品のイメージに合わず白い箱を妹に作ってもらいました。家内制手工業!手作り感が満載です。 中には、以前UPした円形の輪っかの正体が入っています。はい、LED作品です! なかなか、上手くいかなくて試行錯誤の繰り返しでしたが、、、紛失してしまった部品を作り直せば完成です。 ギリギリのギリギリの日々。 ![]() ▲
by mono-prints
| 2011-07-19 02:23
| 制作
ベランダからみえる雲が、もくもくと夏の雲になってきました。
![]() 連日、暑い日々ですが今年もクーラもないまま乗り切ってしまうのかしら…?ecoなんていうおこがましい意識でもなく、買うのがもったいなくて我慢したまま夏が終わってしまうのです… それでも、暑さにも慣れてしまうようで塩分とることと水分補給に注意はしていますが、むんっとした中で絵を描いています。思ったより、暑さで油絵の具はドロドロにならないのね。版画の油性インクだと、柔らかくなりすぎてすごく気にしていた友人も夏の思い出。 この暑い夏の最中、汗とともに笑顔一杯の高校の時の友人の結婚式に出席しました。 ふと、気がつくと歳を重ねるごとに、結婚式よりお葬式に出ることのの方が増えてきてしまった… ![]() そんなことを思うと、こうやって笑いあって集まれるのはいいことなんだなぁ。しみじみ… 展覧会前で焦る気持ちも少し落ち着かせて、どっぷり浸らせてもらいました。 絵の具だらけの手に似つかわない爪のブルーのマニュキュアをみて、先週末の式をを思いだしたのです。こ、これを、早く剥ぎ取りたい!!!のに普段マニュキュアをしないから除光液すらないという事実…。 が、、、先ほど発見!!これもまた、モノタイプの技法を使うときにアセトンたっぷりの除光液を使うことを思い出したのです!目的が、まったく違う事で手に入れていたのね、私。 これで、またマニュキュアなしの天然の爪に絵の具カスが詰まっているいつもの爪にもどれそうです。 暑さの折、皆様どうぞご自愛下さい… ▲
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| 2011-07-12 14:15
| 日々
![]() ![]() 花降る時間—在るということ この展覧会の準備をしている時に三陸沖を震源地とする大地震が起こりました。 3月11日のこの日を境に、情報の無情さの前に大きな哀しみとともに、常々感じていた無力さをさらに目の前につきだされたような痛みが走りました。 すぐにでも手を差しのべる術のない自分自身をせめ、問う日々でもありながら、誰もが感じたように「生かされている」という想いをさらに強くしました。 そして制作の上では、この3月11日の前までは、「残像」として記憶の中に堆積する「時間」や「象」を「人物」の中に落とし込んでとらえていきたいと考えていました。 偶然にも、ここ数年立て続けに大事に想う人々を亡くし「さよなら」も「またね」も言えないままの別れを繰り返したうしろめたさが、ぽとりと水面に落ち、静かにさざ波が広がっていくように心がざわついていたのです。 この世を旅立った人々の在りし日の姿も、今、生をもって目の前にいる人々の姿や風景も、すべて積み重なり、残像として私の体内で発光しているような感覚がありました。記憶の中だけではない、その存在と不在の狭間の揺れから「存在」そのものの不確かさや曖昧さを引き出せたらと、考えていたのです。 それは、失ってきた人々や時間を表出させたいという欲求でもありましたが、次第に「在るということ」の方に深く想いが寄り添うようになっていきました。その中で、人という存在の儚さゆえの強さと哀しさをひしひしと感じ、そんな中に尊い光を見いだしていきました。 すると、自然と自分自身の持つ「性」というものに向き合いせざるを得なくなってきました。常に感じていた女性という「器」を授かって存在している私自身の身体の不自由さと未知数。 あたりまえのように無意識の中でこの身体の内で「生と死」が繰り返されています。それは、ある部分では、私自身ではどうする事もできない営みでもあります。「受け入れる事」で、淡々と日々を過ごし、在り続けているのです。 「在ること」から「性」へ落とし込んでいくには、ちょっと危険な感じがしますが、「存在」することを考えたときに私の中では、素直に繋がっていったのです。 そこで、自分自身がひっかかっていた「石榴」や「面」「身体を覆うもの」などのモチーフをたどっていくと、どれも女性というテーマに繋がっていく感触もありました。 面白いことに、古来から慣れ親しんでいる寓話や物語、言い伝えの中にも見え隠れする深層心理的なものや、隠された真実の中にも「女」というものが浮かびあがってきます。そこに着目しながらモチーフを選びつつ、単に「女」にとどまらず、「存在の哀しさ」「生かされていること」へたどりつけたらとおもっています。 画面の中に「降ってくる」雨のようなものや花びらは、自然という中に身を置く我々の無常の時間軸を表現しつつ、目の前には見えない亡き人々への散華のような気持ちも在ります。私たちの在る世界には、常に目の前に在ること以外の時間も流れているように感じられるからです。 焼き付いてしまった無惨な光景も、少しのファンタジーで静かに心に沈めることができ、美しかった時を心に刻みなおす事ができるかもしれない。 そうして、人の心は美しさに震える事ができ、立たされている場に「在り」続けることができるのではないか?と、美しく花降る時を願ってやみません。 ▲
by mono-prints
| 2011-07-04 21:40
| 展覧会 Exhibition
ある時、宿題?の句をつくる為に、ぶつぶつと指折5,7,5…5、7、5…5、、、、、7、、、、5…なんてやっていると、 両隣に座った方たちが短歌を詠んでいると、突然打ち明けられた。 もちろん、顔見知り同士だったけれど初めて聞くことで、ましてこんな小さな場所で3人ともが短歌や俳句をほんの少しかじっている事に驚いてしまった。 そういえば、昔、画家のバルティスが日本に来た時にこんなにも一般人(詩人をナリワイとしていないという意味で…)が詩(短歌、俳句)をつくるなんて日本という国はなんと豊かな国でしょう…というような驚きを妻の節子さんに話されていたというのを読んだことがあったけれど、なるほど、確かに詩に寄り添い、作って生きるのはなかなか興味深い文化なのかもしれない。 ストレートに言えない想いなどを織り込んで短歌に詠んできた奥ゆかしさも日本人そのもので、今もなお短い言葉の中にあれやこれやと消されてしまいそうなかぼそき声をもしたためているのでしょう。 もちろん俳句も指先で障子に穴をあけて覗き込んでみている程度ですが、短歌はさらに知らない世界。すごく乱暴にいってしまえば、俳句は5,7,5で季語を盛り込み短歌は、5,7,5,7,7で特に季語が必要なわけではなくなんだかのびやか。 そして、その短歌をされている方から「あなたにこれを、なんだか読んでもらいたくて…」と、お借りしたのが「えーえんとくちから」笹井宏之。 ものすごく良くて、これは自分で買わなきゃなと、今までの歌集も買ってしまった。 作者を知らないままで、いいなぁと思ってどこからか手帳に書き留めていたのがこの方のものだったと知って、ちょっと感動。 この本をお返ししてしまうし、まだ手元に買った歌集が届いていないので慌てて少し書き留めておく。 だんだんと青みがかってゆくひとの記憶を ゆっ と片手でつかむ わたくしは水と炭素と少々の存在感で生きております 内蔵のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす by 笹井宏之 ▲
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| 2011-07-02 06:56
| 日々
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